◆新銀行東京の乱脈融資と不良債権比率
新東京銀行の危機が叫ばれています。
不良債権の肥大が深刻なレベルに達しているということです。
都民に重い影響を与えようとしています。
新銀行東京は、石原慎太郎・東京都知事の肝煎り、主導で設立(05年4月開業)されたものです。
しばしば、「石原銀行」などと揶揄されています。
それほど個人の思惑・意志が反映していると言うことでしょう。
多額の税金が投入されています。1000億円です。
都民一人当たりにすれば、8千円ということです。家族4人なら3万2千円になります。
当初は、『資金調達に悩む中小企業を救済すること』を理念として発足しました。
当時、中小企業に対する貸し剥がし、貸し渋りが横行していたからです。
理念は、確かに高邁なものでした。
しかし、その後、景気が浮揚する中で、中小企業の資金繰りは次第に改善され、新銀行東京の存在意義も薄れていきます。
それにも関わらず、当初の構想を墨守し、融資は押し進められていきました。
そのため、不良債権は拡大し、経営の危機は深刻化していきました。
それと共に、いろいろな問題点が浮き彫りになってきました。
次のような点が指摘されています。
1.07年時での融資・保障の残高目標を7370億円という極めて高い水準に設定し、無理な融資拡大を押し進めた。
2.スコアリングモデル(企業の財務データから融資の可否をコンピュータなどで自動的に決める)に過度に依存し、無担保・無保証融資を拡大した。
3.中小企業に対する融資比率は低かった。
中小企業向け融資(1046億円)は、貸出金残高(2218億円)の47%(07年9月末)。
4.石原都知事の三男・石原宏高氏の地盤(品川区、大田区)の企業に融資していた。
息子への側面支援・選挙対策ではないかと疑念をもたれ、批判がされている。
5.06年に破綻したベンチャー企業に、その約2カ月前、無審査で3億円を融資した。
この企業は、新東京銀行の役員の友人の会社であった。
開業時から、役員17人が辞任しているのも異常です(本来、役員は12人体制)。
新聞によれば、複数の元幹部が次のような証言をしています。
「ずさんな融資について取締役会で進言したが、聞き入れられず、見切りをつけた」
「無駄な経費を取締役会で追求した別の役員も相手にされず、最後は辞任した」
「放漫経営を厳しく追及する役員ほど煙たがられ、再任されずに辞めていった」
「行員が3ヶ月に20~30人のペースで辞めた時期もある」
新銀行東京の組織の中は、ごちゃごちゃだったということです。
では、この新銀行東京の不良債権は、どのようになっているのでしょう。
各種報道からまとめてみるましょう。
( )内は、総融資件数に対する件数比率(07年12月末現在)。
・融資状況…融資件数:1万3000件、融資額:2545億円
・回収不能件数…600件(4.6%)、計86億円(3.4%)
・6か月以上の延滞債権…1100件(8.5%)、総額132億円(5.2%)
・3か月以上の延滞債権、条件緩和債権…520件(4%)、総額54億円(2.1%)
※開業以来の回収不能件数の累計は、約2300件、計285億円(08年3月現在)
一般に、不良債権は、3ヶ月以上の延滞債権や貸出条件緩和債権(金利減免など)が対象です。
この基準によれば、新銀行東京の不良債権比率は、件数ベースでおよそ17%にもなります。
残高ベースでは、約10.7%です。(→参照)
これらの数値が、相当に高いものであることは確かです。
次の金融危機の指標となった数値と比べてみてください。
・日本のバブル期の不良債権比率(推定)…約6~7%
・アメリカのサブプライムの不良債権比率…約14%
アメリカ住宅ローン全体の不良債権比率…約5%
いずれにせよ、民間金融機関(07年9月で1.5%)ではあり得ない数字です。
もともと、新銀行東京は一般の銀行が融資を躊躇した案件を対象としたわけです。
審査が甘くなるという危惧は、当初から多くの識者が抱いていました。
それがものの見事に当たったということです。
これほどまでに、不良債権が肥大した背景には、経済犯罪者(暴力団関係者などの反社会的人々を含む)の暗躍なども強く推測されます。
新銀行東京が、いいように喰い物にされていたということです。
徹底的な調査が必要でしょう。
石原都知事は、400億円の追加融資を求めています。
都民1人当たり、新たに3千数百円です。
このような追加融資は、今後不良債権が拡大していけば、さらに続いて求められていくでしょう。
都民の懐が当てにされるというわけです。
確かに、銀行が再生すれば公的資金は返って来ます。
しかし、破綻すれば無一文になります。
この銀行の場合、その可能性の方がはるかに高いでしょう。
結局、石原都知事の断行は、武士の商法と化しつつあります。
しかし、そのツケは彼の財布ではなく、都民の懐に重くのし掛かってこようとしています。
為政者を選んだ責任は、選挙民がとらされるということでしょうか。