◆南京事件で殺されたのは何万人か?
月刊誌「世界」(岩波書店)1月号の特集として、「南京事件」が組まれていました。
そこで今日は、この日中戦争の中でも最も忌まわしい事件について触れてみることにします。
これは、世に言う南京大虐殺です。(→参照)
第二次世界大戦勃発の2年前、太平洋戦争開始の4年前です。
1937年12月中頃に始まり、約1月半続きました。
今からちょうど70年前のことです。
中国本土の奥深くに侵攻した日本軍によるジェノサイド(大虐殺)とも言われます。
日本人兵士にも多くの死傷者がでましたが、それよりはるかに多くの中国人が犠牲となりました。
彼らは、家財を奪われ、家を焼かれ、レイプされ、殺されました。
何の罪も咎もない人々です。
自分の身に起こったこととして考えてみてください。
絶句するでしょう。悲惨なものです。
このとき殺害された人数には諸説あります。
最大30万人、最少数千人まで、極めて広いばらつきがあります。
代表的な主張は、次のようになっています。(→参照)
畝本正巳氏 3千~6千人
板倉由明氏 1万3千~1万9千人
ニューヨークタイムズ 3万3千人
秦 郁彦氏 3万8千~4万2千人
ラーベ日記 5万~6万人(ラーベはドイツ人、難民区委員会委員長)
笠原十九司氏 20万人以上
極東国際軍事裁判 20万人以上
呉 天威氏 34万人(中国人の研究家)
中国の検察官 43万人(極東国際軍事裁判当時)
まさに学識者、専門家たちによる百家争鳴です。
これは、彼らの根底にある価値観、思想が違うためです。
性格、人間性の違いから生じていると言っても良いでしょう。
心根の優しさに関係しているかも知れません。
強いバイアス(先入観、偏見)が潜んでいる可能性があります。
もちろん、この間に真実はあるはずです。
では、どれが最も真実に近い数値でしょう。
独自に推理を加えてみたいと思います。
まず問題となるのは、当時の南京市の人口です。
事件の前年から、事件後数年までの推移をたどると、次のようになっています。
数字は、単位を万人とする概数としました。(→参照)
36年12月 101万人(警察庁及市政府調査)
37年3月 102万人 (首都警察庁調べ)
37年10月 53万人余 (警察庁、広田外相電)
37年11月 50万人 (南京市政府報告)
37年12月 南京陥落
38年2月 20万人 (難民区人口を南京市自治委員会と特務機関が推定)
38年3月 24万人 (南京特務委員会、難民収容所の女性を除く)
38年8月 31万人 (警察庁及市政府調査)
38年10月 33万人 (南京市自治委員会調べ)
39年10月 55万人 (南京特別市政府調べ)
41年3月 62万人 (南京市政府調べ)
37年10月に急激に減少しています。
これは上海が陥落し、国民党軍の南京への壊走が始まったためと考えられます。
日本軍は追撃します。
南京へ全面攻撃が開始されるのは見えていました。
多くの市民が避難し、四散しました。
それでも、11月時点で、市内には50万人ほどが残留しています。
その内、南京防衛軍の動員兵力は、約10万人です。
12月に入ると、市街地からの脱出は難しい状況であったと言われています。
このうちどれくらいの人が暴力の犠牲になったのでしょう。
事件直後、同市の人口が30万人も減っています。
それが手掛かりとなるでしょう。
最大それに近い人の数が命を奪われた可能性があるということです。
南京に侵攻した日本軍の兵士の数は20万人でした。
兵士1人1殺とすれば、20万人は決して不可能な数字ではありません。
十分にあり得ます。
当時、日本軍の志気は落ち、綱紀は乱れていました。
「皇軍の恥だ」と心ある指揮官や従軍者たちが憂え嘆くほどでした。
侵略戦争の所以です。無名の師です。
多くの兵士が残虐で非情な行動に走ったとしても、不思議はありません。
では、この数字がそれほど不当に大きいかどうか、沖縄戦と対比してみましょう。
確かに、戦闘の性格や内実は異なります。
しかし、地域の範囲や、激戦の程度にアナロジー(類似性)があります。
当時、沖縄の人口は約50万人でした。
これに対し、激戦による死者は全体で約19万人、沖縄住民の死者12万人でした。
すなわち、沖縄住民の犠牲者の人口比は約4分の1に上っています。
激戦が交わされるときは、犠牲者がこのような割合まで肥大する可能性のあることを示しています。
これは、南京事件の犠牲者を十数万人とすると見事に符合します。
南京事件の犠牲者が20万人前後に達したとしても大きな乖離はありません。
ちなみに、アメリカ軍の死者は、約1万2千人でした。
日本人はアメリカ人の約20倍近い人が命を奪われたことになります。
沖縄上陸部隊の米軍の兵士数は、約18万人です。
これも数値的には、1人1殺に相当します。
これに関連して、大規模な戦災とその犠牲者数を付記してみましょう。
死者数は、次のようになっています。(→参照)
東京大空襲…約10万人 広島原爆…約14万人 長崎原爆…約7万人
※原爆による死者数は、投下後4ヶ月以内を対象としています。
ちなみに、ベトナム戦争でも、多くの民衆が犠牲となりました。
その数は、約2百万人と推計されています。
兵士を加えれば、3百万人とも言われています。
当時の北ベトナムの人口は、約3千万でした。
人口比は、10分の1となります。
これに対し、アメリカ軍の、戦死者は約5万人でした。
ここでは、アメリカ人1人に対し、ベトナム人60人が落命したことになります。
その比は1:60です。
アメリカ軍の参戦兵士数は、約55万人でした。
ベトナム戦争では、アメリカ人兵士1人当たり、5人以上のベトナム人を殺したことになります。
普通の殺人事件でも滅多にあることではありません。
現在、日本における殺人による犠牲者数は、年間千数百人に上っています。
しかし、第二次大戦によって失われた日本人の命は、約300万でした。
殺人事件に換算すれば、2千年分になります。
いずれにしても、戦争は殺人事件をもはるかに凌駕する悲惨な、不幸をもたらす最悪の生き地獄であることだけは確かです。