人生学ノート

恋の燃え方は、万人に同じだが、醒め方は、各人によって異なる。
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心の優しい人が本当に苦しいときは神を求め、心の優しくない者が本当に苦しいときは悪を求める。
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怒りや憎しみは、ときどき誤解や妄想の上に成り立つ。
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ものの考え方には、対立する二つの前提がある。
一つは弱肉強食を善とし、それを前提とする立場、他の一つは人間の平等を善とし、それを前提とする立場である。
それぞれが、この別々の前提に立っていれば、どんなに時間と労力をかけてもても、二つの議論が手を取り合うことはない。
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自分のこだわっているものが、全てをだめにしてしまうことがある。
それは、財産、地位、名誉、意地、家だったりする。
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頭の良い弱虫は、皮肉を言いたがる。
面と向かって堂々と構えられない人間は、皮肉を剣にしたがる。
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数字による詐術は、あらゆるところで使われている。
それは、都合のよい一部の数値を取り出して、あたかもそれが全体を表しているかのように思わせるやり方である。人々は、しばしばその手に騙される。
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統計的数値は、とりわけ、分母、ないし母集団に注意しなければならない。
つまり、何と比べているのか、どんな基準が適用されているのか、どんな集団を調べた結果なのかをよくとらえなければならない。
例えば、子供達の月平均のお小遣いが五千円であるというとき、その子供達とは何歳から何歳までを対象としているのか。また、どの地域の何人の子供達を調べた結果なのか。
またその中には、衣服代は入っているのか、本代は含まれているのか、理髪代はどうか。そういうことがはっきりしていないと、その統計数値の価値はほとんどなくなる。
人々は、あまりにも、母集団や調査基準を不明瞭にしたままに、議論を進めることが多い。
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所得のような数値を見る場合には、用心が必要である。
所得が多いと言っても、それが税・年金・保険などを天引きする前の所得、額面の所得なのか、それとも税・年金・保険などを天引した後の所得、手取りの所得なのかによって、内実が全く異なる。
月収が五十万円あると言っても、それが税・年金・保険などを天引きする前の額面の所得であれば、手取りの所得は、せいぜい三十五万円、場合によっては三十万円程度になってしまう。
逆に、それが税・年金・保険などを天引きした後の手取りの所得であれば、額面所得は、約七十万円、場合によっては八十万円ほどかもしれない。
だから、所得金額を聞いても、それが額面の所得なのか、それとも手取りの所得なのか、その基準がはっきりしないうちは、その多寡に正しい判断は下せない。
抜け目のない人は、この二つを都合の良いように使い分ける。つまり、所得を多く示したいときは額面の所得を使い、所得を少なく示したいときは手取りの所得を用いる。
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自分の周りの一部を見て、全体を判断することは、全く正しくない。
周りにいる数名の肥満児を見て、このごろの子供は太っているというのは正しくない。
四、五人の友達がサッカーをやっているからと言って、みんながサッカーをやっているというのも正しくない。
周りの友達が携帯を持っているからといって、みんなが携帯を持っているというのも正しくない。
しかし、多くの子供たち、そして大人たちも、しばしばこういう議論をする。
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自分だけはたくさんのゴミを出してもいいという特権は、誰も持っていない。
みんながそう思ったら、環境は瞬く間に汚染され、自然は立ち所に破壊されてしまう。
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