◆石油の枯渇は迫っている!
世界の石油が枯渇するまであと68年程度となるという見通しが明らかにされました。(石油鉱業、12月29日発表)
石油の可採年数は、次のように算定されています。
既に確認されている埋蔵量で約38年、技術革新などによる採掘量の拡大で約17年、未発見資源で約14年分。
現在、世界にある石油の可採資源量は、およそ3兆380億バレルとされています。
ここには、未発見分も含まれています。
一方、年間の年間の石油生産量は、約300億バレルです。
単純計算すれば、採掘可能年数は100年余りということになります。
これは、あくまでも今後も生産量が不変であるということが前提です。
しかし、近年、中国、インドなどの発展途上国の経済発展は急激です。
原油に対する需要は急増しています。
可採年数は大幅に縮まると予測されます。
上記の可採年数は、それを見込んでいます。
では、世界の主要国の石油消費は、それぞれどのくらいの水準にあるのでしょうか?
その消費水準から可採年数を逆算してみたいと思います。
各国の消費レベルを世界全体の消費量に想定した場合、どのくらいの可採年数になるのかということです。
まず、各国の消費レベルを比較してみましょう。
2005年度の主要国の石油消費量(万バレル/日)と、一人当たりの石油消費量(リットル/日)は、およそ次のようになっています。(→参照1、参照2)
ただし、石油1バレル ≒159 リットル。
国 米国 日本 中国 インド 世界計
石油消費量(万バレル/日) 2,066 536 699 249 8,246
人口(百万) 296 128 1,316 1,097 6,465
一人当たり(リットル/日) 11.1 6.7 0.8 0.4 2.0
インドを1としたとき 28 17 2 1 5
この表から、次のことが言えます。
米国の石油消費レベルは、世界平均の約6倍です。
従って、世界がこの水準で石油を消費すれば、可採年数は18年程度となります。
同じように他国についても、可採年数を算定してみましょう。次のようになります。
日本レベル…29年、 中国レベル…250年、 インドレベル…500年
まさか、中国やインドが今後数十年、今の消費レベルを保つことはないでしょう。
少なくとも、日本水準程度には、寄せてくるはずです。
そうなると、石油枯渇まで残り40年程度と言う悪夢も十分あり得ます。
現在40歳代の人たちが、80歳代になったときは、枯渇に直面しているということです。
地上に石油資源は全く存在しないということです。
孫以下の代になると、人生の最初から石油を手にできないという事態になるかも知れません。
大変なことです。
どうなるのでしょう?どうするのでしょう?
仏典には、次のような挿話(たとえ話)があると聞いています。
「ある村に、清らかな池がありました。
そこには多彩な生き物たちが溌剌と暮らしていました。
そこにある日、1本の毒草が芽を出します。
その毒草は、1日に2倍になると言う繁殖力を持っていました。
それが池の表面を覆い尽くしたとき、その池の生物は全て死に絶えるという恐ろしいものでした。
毒草の繁殖を恐れた村人たちは、その毒草が殖えないよう、みんなで注意します。
そして、代わる代わる毒草を抜き取ります。
そのため、しばらくの間、毒草はわずかな量に留まっていました。
村人たちは油断します
次第に、除草を怠けるようになりました。
他人任せにするようになりました。
雑草は、2倍、3倍、4倍とどんどん殖えていきます。
数年が経ちました。
ある日、村人が池を眺めると、水面の半分ほどを毒草が覆っていました。
しかし、村人たちは何年もかかったようやく半分までなったのだから大丈夫だろう、と言い合いました。
今は忙しいから、除草は明日にすればよい、と池にから立ち去りました。
しかし、次の日はどうなったでしょう?
その毒草は、1日で2倍になります。
次の日、村人たちが池を訪れると、毒草は池の水面全体を覆っていました。
村人たちは、あわてふためきました。
しかし、時既に遅しです。
豊かにいた生物たちは全て死滅していました。
生命に満ちた清らかな池は、死の池になっていたのです。
村人たちは嘆き悔いるばかりでした。」
30年以上前に、何かの説法の際に伺ったのですが、実に興味深く、印象に残っています。
ただし、出典は明らかではありません。
記憶が定かでないため、大幅に脚色しました。
どなたか、典拠を始め、詳細をご存じの方が入らしたら、ご教示下さい。
石油に関し現在置かれている状況は、この挿話の内容に似ているかも知れません。
深刻な危機が差し迫っているということです。
このような絶望的な事態を抑え解決するにはどうしたらよいでしょう?
主に次の2つの救いの道があると思います。
1.代替燃料の開発。
2.消費の抑制。
代替燃料には、様々なものが開発されています。
多くの企業、多くに研究者がしのぎを削っています。
風力、地熱、太陽光、原子核融合など様々な代替資源にアプローチが試みられています。
しかし、いまだに決定的なものはありません。
開発と石油枯渇のデッドヒートです。
人々の期待には大きなものがあります。
人類の将来を左右するからです。
開発は、ますます緊張を孕むことになるでしょう。
二番目の消費の抑制は、当面誰もができることです。
資源を大切にするということです。
消費をできるだけ抑えるということです。
大量消費に慣れた人々が、インドのレベルまで下げることは難しいでしょう。
しかし、大消費国は、世界の平均水準に近づけていくことは求められます。
とりわけアメリカのように、平均水準の何倍もの消費をすることは許されなくなります。
豊かな国では、一人の人間を運ぶために、鉄などの資源の重い塊(車)を動かします。
少数の人が住まうために、大きな家屋全体を冷暖房機器で温度調整します。
資源が激減するのは当然でしょう。
大消費国の人々がエゴを通していけば、石油は瞬く間に底を突きます。
思う存分消費し、物質生活を豊富にすることは、一人一人にとっては確かに「善」であるかも知れません。
しかし、それを全体に及ぼせば、環境は悪化し、資源は枯渇のスピードを早めます。
つまり、善の集合は、たちまちのうちに悪に反転するのです。
いわゆる「合成の誤謬」です。
それを防ぐには、意識改革ではとても無理でしょう。
効果は期待できないように思われます。
「百年河清を待つがごとし」となります。
手遅れとなるのは必至です。
残念ながら、残された道はただ一つです。
石油価格の上昇です。
価格が上昇すれば、人は石油を買い控えます。
需要供給曲線の示す通りです。
価格が上がれば、需要が減るということです。
減らさざるをえない、ということです。
消費が減れば、枯渇へのスピードが弛みます。
現在、原油価格が高騰しています。
これは将来の危機を見据えた先取りという側面も含んでいます。
必ず足りなくなることは分かっているからです。
高止まり、右肩上がりを続けるのは当然です。
将来への警鐘と捉えることもできます。
確かに、石油価格の高騰は経済にブレーキをかけます。
個々の家計には大きな負担となります。
いろいろなところに痛みはでてきます。
でも、そればかりではありません。
資源争奪戦です。
将来、資源争奪戦から全面戦争が発展することを危惧する人たちもいます。
石油を巡る確執は、第二次大戦の主因でもありました。
決して杞憂とは言い切れません。
将来の孫子たちのことを考えると、節約努力は一人一人に課せられた義務といえるでしょう。
多少の不便や我慢は受け入れなければなりません。
それらが今すぐ求められているということです。