●能力には、限界がある!
能力は、外からは見えません。
隣りにいる見知らぬ人がどのくらいの能力を持っているかなどは全く分かりません。
「人は見掛けによらぬもの」などの格言も、これを言い表しています。
しかし、人は、それぞれ能力の限界を有しています。
それは思う以上に、はっきりしています。
否定しようがありません。
例えば、垂直ジャンプをしてみてください。
ジャンプ力が50cmの人は、どんなに努力をしても60cmに達することはないでしょう。
たいてい55cm程度が限界です。
どんなに頑張っても、70cmのジャンプ力の人に勝つ見込みは全くありません。
人間の能力など、伸ばせるのは高々2割程度です。
学力が、50点の人の上限は60点、80点の人の限界は95点ほどでしょう。
通常の努力をしている場合は、そうなります。
もしそれを越えたとすると、よほどそれまで怠慢であったか、潜在能力が突如目覚めたためでしょう。
しかし、潜在能力といえども、能力に違いありません。
この潜在能力をフル活用したときのリミットも、2割を越えることはないでしょう。
これは、学力テストの全国レベルが上下数%を変動域に、常に一定であることを考えても理解できます。
一クラスの学力点数でさえ、長年に渡って大きな伸び縮みはないものです。
身長(肉体能力の一つと考えてよい)は、さらにシビアな限界のあることを教えてくれます。
確かに、栄養が不十分なまま生育すれば、身体の成長は抑制されます。
170cmまで伸びたはずが、160cmに留まるということは十分あり得ます。
実際、170cmほどの昨今の男性の平均身長は、数百年前には、160cmに達していなかったようです。十分な食糧が保証されていなかったためです。
しかし、だからといってむやみやたらに食べれば、身長が伸びるというものでもありません。
通常の食生活で170cmになる人の身長が、175cmに達することはないでしょう。
身長という一種の能力は、成長ホルモンが規定しているからです。
このようにほぼ生まれつき確定している能力を無視して、努力を行ったらどうなるでしょう?
身長の場合、伸ばせ伸ばせと、大食、過食した場合です。
身体は、縦に伸びず、横に伸びるでしょう。
それは、単に外見上の問題といえます。
重大なことは、それが身体に負担を与え、ゆがみ、ひずみをもたらすということです。
将来の成人病さえ、用意するでしょう。
高血圧、糖尿病、高脂血症などです。
それらは、様々な深刻な合併症や、心臓病、脳溢血などの循環器傷害、そして癌さえをもたらす恐れがあります。
勉強やスポーツの場合も同じです。
それが自発的、自主的である場合はさほど支障はありません。
しかし、とりわけ、それが他者から強制的、過剰に強要された場合、大きな弊害が生じることになります。
その典型が、早期教育やスパルタ教育です。
子供たちは、過剰な負担、負荷にあえぎ、苦しむことになります。
彼らは、心の中に、歪みや荒れを蓄積させていくでしょう。
怒りや憎しみさえ、充満させていく恐れも大です。
ルサンチマン化(→参照)です。
苦闘の後には、無惨な結果しか残りません。
これは、子供も、親も不幸にします。
将来の社会の荒廃や病理現象(犯罪など)を加速することのもなるでしょう。
子供に対する能力を無視した鍛錬や強要は控えるべきだと心得るべきでしょう。
人間には、個人個人、持って生まれた能力というのがあるのです。
いわば、神の仕業、御心です。それを無視してはなりません。
能力の大小は、決して、命の重さ、個人の尊厳に関わるものではありません。
ましてや、能力の大小が個人の幸福を左右するものではないはずです。
それを見失ってはなりません。
0 件のコメント:
コメントを投稿