●学力の差は以外に大きい!
学力は、ほぼ知力が決定します。
この知力を左右するものは、記憶力、論理的思考力、読解力などです。この知力は、学力のレベルを5段階程度に分けた場合、1ランク違うと2倍ほど違うと考えてよいでしょう。
たとえば、学力レベルが5の生徒は、学力レベルが4の生徒に比べ、記憶力、論理的思考力、読解力などが、2倍ほど優れています。
同じように、学力レベル4の生徒は、学力レベル3の生徒に比べ、2倍ほど優れています。
学力レベル3の生徒は、学力レベル2の生徒に比べ、2倍ほど勝り、学力レベル2の生徒は、学力レベルが1の生徒に比べ、2倍ほど勝っています。
これは記憶力のことを考えると、よりはっきりと理解できるでしょう。
英語の単語力を例にして考えてみましょう。分かりやすい概数を使います。
仮に、中学3年時点で、学力1の生徒が正確に書き取りできる英単語の数を50個としましょう。
すると、学力2の生徒は100個、学力3の生徒は200個、学力4の生徒は400個、学力5の生徒は800個のようになります。
さらに、具体的な例を挙げましょう。
英語のJanuaryに始まる12の月の名前のうちいくつを正確に書けるかということについてです。
中学2年時点で、学力1の生徒は1つ前後、学力2の生徒は2つ前後、学力3の生徒は4つ前後、学力4の生徒は8つ前後、学力5の生徒は余裕で全部となります。
大人でも、ほぼ同じような結果になるでしょう。
このようなことは、日常の生活の中ではなかなか、はっきりととらえられません。
芸能人の名前は200人知っているが、経済学用語は50個しか知らない人と、芸能人の名前は50人しか知らないが、経済学用語は1000個知る人が会話に加わると、たいてい前者の方が賢く見えてしまいます。
日常生活の会話の中では、経済学用語が登場する機会がほとんどないからです。
おしゃべりの人や、身近なことをよりたくさん知っている人の方が、優位に立ってしまいます。
原子物理学について、深い学識があってろうとも、井戸端会議では、評価を受けることはありません。
このように、学力差、知力の差には、埋めがたく、計り知れないものがあります。
だからこそ、学力指導は、可能な限り、生徒の知力に応じてきめ細かく行うことが必要なのです。
応病与薬ということです。
病人に与える食事と、普通の人に与える食事と、大柄で頑健な人に与える食事は自ずと異なります。
これを画一的にすれば、一方で大きな過剰が生じ、他方で大きな不足が生じます。
それは、双方に不利益を与え、健康を害すことに繋がります。
学力1レベルの生徒にとっては、学力2レベルの授業内容はかなり苦痛です。
3レベルとなると、地獄の試練です。ストレスしか溜めません。
それ以上になると、完全にお手上げです。授業は、別世界の出来事のようになってしまいます。
ほとんどの場合、真実はこのようであると考えてよいでしょう。
もちろん、学力、知力の高低は、人生の幸せとは大して相関はありません。
最高レベルを誇るある大学の学生の自殺率が高いことは、つとに知られたところです。
学識者、知識人の中にも、しばしば自らの死に追い込まれる人が現れます。
また、学力、知力の高低は、人間の心、精神性、つまり偉さや情愛の深さとも比例しません。
学識、知性の優れたはずの政治家や実業家の中にも、悪質な反社会的な行為に手を染める者はいます。
最近では、元公安調査庁長官の緒方重威氏が巨額の詐欺事件で逮捕されたことは記憶に新しいところです。
彼は紛れもなく、一流の知識人でした。しかも、正義を守るべき組織のトップにありました。
このように学力は、あくまでも学力に過ぎません。
ただ、いずれにせよ、教育は学力の低い子供にも、高い子供にも、平等に最適なものが与えられなければならないことだけは確かです。
それが、最も子供たちの益になるからです。
0 件のコメント:
コメントを投稿