●娘といきなりお風呂はあり得ない
怪しい話ではありません。
いかがわしい内容ではありません。
父親が、自分の娘と一緒にお風呂を楽しむということについてです。
子供が父親と一緒にお風呂に入り、水を掛け合ったり、背中を流し合っている光景はとても微笑ましいものです。
これは、懐かしく、楽しく、ほのぼのとした思い出としても、生涯長く親子の心に残るでしょう。
しかし、このようにお風呂で子供が親と仲良く、憩いのひとときを送れるのは、急にできることではありません。
特に、娘と父親の場合はそうです。
これは、乳幼児の時からの関係の延長上にあるものです。
生まれてから、産湯に浸け、授乳し(もちろん授乳瓶で)、その後は、日常的にお風呂に入れ、食事の世話をし、遊び相手をして、初めて可能になるものです。
親しい関係ができているか、信頼関係ができているか、それが大きなカギです。
とりわけ一緒に楽しく遊ぶことは重要です。
小さいときからの温かい触れ合いが大切です。
乳幼児の時から、ずっと一緒にお風呂に入っていれば、思春期に近づいても、娘はそのことに違和感を感じないでしょう。
むしろ、そのときに、いろいろお話をしたり、歌を歌ったり、楽しい時間、充実した時間をもてているのであれば、積極的に入浴しようとさえするでしょう。
娘にとって、父親は親友のようなものだからです。
父親を異性と全く感じていなでしょう。
いわば文字通りの裸の付き合いとなります。
テレビなどでも、時折、父親と高校時代まで、一緒にお風呂に入っていたというエピソードを語る女優が登場します。
中村玉緒さんなどがそうだったでしょうか?
ちょっと大きめのお風呂場が必要とは思いますが…。
いつまで、一緒にはいるかは、娘が決めればいいだけの話です。
父親は、恥ずかしくなったら、遠慮すればいいだけの話です。
ところが、父親と娘の関係には、全く逆の場合もあります。
娘と父親との関係が、小さい頃から疎遠であるときです。
父親が、幼い娘の世話をしない、一緒に楽しく遊ばない、などです。
娘は父親に対し、親しみも、十分な信頼も抱いていないでしょう。
とりわけ、普段父親が娘に対して、抑圧的な態度、支配、管理などの養育姿勢、あるいは放任や、無関心などの対応を行ってきた場合はどうでしょう?
娘は、父親に対して親近感や信頼を抱いていないでしょう。
反感や恨みさえ感じているかも知れません。
このようなとき、思春期に近づいた娘が風呂に入っているところに進入したらどうでしょう。
娘は、強烈な不快感、嫌悪感を抱くはずです。
まさに、セクハラ以外の何ものでもありません。
相手が嫌がっているのに、強引に押し入ったとしたら、犯罪行為です。
深刻なトラウマを与えるかも知れません。
思春期に達した娘が、父親のパンツを一緒に入っていた洗濯物の中から箸でつまみ出すというのも、ほぼ同じ心理が背景にあります。
抑圧的、管理的、支配的、放任的、無関心な父親に対し、不快感や嫌悪感を抱いているということです。
親といえども、普段、威張ったり、冷たくしておいて、子供に好かれるはずはありません。
親しまれ、信頼されるはずもありません。
パンツのことは、一つの象徴です。
このような少女は、少なくないようです。
これは、しばしば、思春期の娘を持つ親たちの話題になります。
父親に対し、親近感を持ち、信頼感を持っていれば、このようなことをするはずがありません。
親子の関係も、あくまでも過去の延長上にあるということです。
パンツや入浴は、父親との親しさや信頼感の大小を測るリトマス紙、バロメーターとも言えます。
子供との親近感や信頼感を築くためには、生まれたばかりの赤ちゃんのときからの積み重ねが大切だということです。
親の方々には、そのことを常に頭において、育児を進めてもらいたいものです。