●店の床にひっくり返った子供は?
デパートやスーパーに行くと、しばしば床にひっくり返って泣きわめいている幼児を目にします。
3,4歳くらいの子供が多いでしょうか?
彼、彼女らは、思い通りに行かないことに癇癪を起こしているわけです。
欲しいものを買ってくれない、その場で商品を見ていたのに連れ去ろうとする、そういうことにと怒り猛っているわけです。
彼らのこのような資質は、既にしっかりと身に付いてしまっています。
生涯、この人間性が変わることはないでしょう。
これは、いわば王様根性と言うべきものです。
なぜ、このような資質が身に付いてしまったのでしょう?
それは生まれてからそれまでの育て方にあります。
決して生まれつきのもの、先天的なものではありません。
生まれてこの方、チヤホヤし、子供の要求に過剰に迎合して育てた結果です。
とりわけ、授乳がポイントとなります。
赤ちゃんが泣いたら、間髪を置かず、慌ててサービスをするというのは全く好ましくありません。
少し待たせるくらいが丁度良いのです。
待たせれば、その間忍耐力を付ける訓練と時間を与えられたのです。
昔の赤ちゃんは、親が農作業などをする間、しばらく放置されました。
だから、忍耐力、我慢強さが自然に付いたとも言えます。
人気テレビドラマの「おしん」の主人公が適例です。
もちろん、余りに待たせたり、放置するのも逆効果です。
無気力やあきらめ根性を助長させる元になれからです。
しかし、現在の母親は、余りに赤ちゃんと密着しすぎています。
サービスが過剰になる危険は、十分にあります。
物心が付いてからも、サービスが過剰になる条件は整っています。
物資的に豊かな時代です。多少のものはいくらでも与えられます。
幼児が高額のものを要求することは少ないからです。
とりわけ、経済的に豊かな祖父母などが、チヤホヤと過剰なサービスをしてしまうことが少なくありません。
店に連れて行き、お菓子を欲しがったり、オモチャを欲しがったりすると、すぐに買い与えてしまいます。
子供の王様根性は肥大していきます。
子供の要求は、300円のミニカーから、3000円のリモコンカーへ、そして300万円のスポーツカーへ、幼児期から少年期をへて、青年に成長するにつれ、どんどん拡大して行きます。
そうなると、親や祖父母は、簡単には要求に応じられなくなります。
我慢する力が育ってないので、要求が満たされないと、癇癪を起こし、暴れるようになっていきます。
お店でひっくり返っていた子供は、思春期に達すれば、バットなどを持ちだして暴れるようになります。
そうでなければ、親や祖父母の財布の中から抜き取りを始めます。
腕力がある子供は、ネギを背負った鴨を求めて街を徘徊することになります。
三つ子の魂、百までということわざがあります。
3歳までに植え付けられた心の特性は、生涯保持されていくと言うことです。
昔の人は、これを、性根とか、心根などという、「根」の付いた言葉で表していました。
彼の我がまま資質、我慢のきかない資質は、生涯、変わることはないでしょう。
それによって、これから先、家族、周囲の人間、自分のパートナーや配偶者、そして自分の子供が苦労し悩むことになります。
学校でも、職場でも、地域でも困った存在、嫌悪される存在になる可能性は十分にあります。
ただ、人間は、「演技する動物」です。
常に演技しています。
相手や状況によって、言動や態度を絶えず変えています。
彼らも、成長していけば、周囲の目が気になります。
自分に対する評価も気にします。
いつでも本性を露骨に押し出すと言うことはないでしょう。
また、自分より腕力の強い人間や権能の上位な人の前でも、思い通りの行動は差し控えます。
自分に損や害になることはしないからです。
従って、彼らの本性がなかなか見抜けない場合もあります。
では、このような彼らの資質を変えることは全く不可能なのでしょうか?
確かに、抑制のきかない欲望の肥大した人間性を改善して行くには至難でしょう。
しかし、全く希望がないわけではありません。
親や家族は、それを試みるべきでしょう。
それは、愛情は与えても、物は本当に必要な分しか与えないということです。
愛情はいくら与えてもよいのですが、物質の与え方には適度が必要です。
不当な要求、過剰な要求は、無視することが必要です。
取り合わないことです。迎合しないことです。
相手がよく理解するよう説明、対話をすることも効果があるでしょう。
親の態度や出方の急な変化に子供は面食らい、抵抗することもあるでしょう。
暴れることもあるでしょう。衝突も予想されます。
とりわけ、腕力が親に勝るようになる思春期以後は、子供が暴力的な反抗に出ることもあります。
子供を抑えようとすればするほど、子供は暴力的になります。
腕力に優位に立った子供は、力で親に遠慮することはないからです。
毎日のように報道される親子間や家族内に生じる事件を見ても、それは理解できると思います。
従って、思春期以後の子供に対しては、強制的な方法は効果がないと考えた方がよいでしょう。
厳しく言えば、たいてい手遅れです。
我がままな子供、忍耐力のない子供に育ったということは、物は十分与えられたが、真の愛情が足りなかったと言うことです。
あるいは、愛情の中身が間違っていたと言うことです。
まず、それを認識、理解することが必要です。
愛情とは、守り、支え、理解し、相手の今と将来の幸せに尽くすということです。
決して相手をチヤホヤしたり、相手に迎合することではありません。
いずれにせよ、親も我慢しなければなりません。
親の我慢力と子供の我慢力は、たいてい比例します。
それを自覚することが必要です。