◆米軍への給油の議論は不毛だ!
テロ特措法の給油の問題が論点になっています。
アメリカ軍やパキスタン軍などに供給している石油の使われ方です。
これは、アフガニスタンにおけるアメリカの対テロ軍事行動を支援することを目的としていました。
それは法的な根拠に基づいていました。テロ特措法です。11月1日に期限を迎えます。
支援の中心は、海上自衛隊によるインド洋でのアメリカ軍やパキスタン軍などへの給油活動でした。
その給油された石油の一部、ないし多くが、アフガニスタンの対テロ掃討作戦ではなく、泥沼化したイラクで武力を展開するアメリカ軍に流用・転用されているのではないかという疑惑です。
しかし、この議論は不毛です。意味がありません。
理由は、次の通りです。
1.一旦給油すれば、その石油がどう使われようとトレース(たどること)できない。
石油に色は付いていないからです。
2.日本から給油された分だけ、アフガニスタンへの供給量を減らせ、同量をイラクに回せるので、結果的には同じこと。
心太(ところてん)式に、石油が移転利用されるということです。
アメリカにとっては、イラクだろうとアフガンだろうと、石油を使うことに変わりはありません。
片方で余裕が出れば、他方に回せばいいだけの話です。
日本が仮に、この石油はあくまでアフガンのテロ対策用のものだと決めても、提供してしまえば、米軍にとっては単なる軍需品の一部に過ぎません。
全体の中で埋没してしまいます。
使用目的の文字化は形式に過ぎません。自己満足以上のものではありません。
用途の限定を相手と約束しても、それが実行される保証は全くありません。
単なる口約束と同じです。抜け穴だらけです。
後追い調査も、証拠の確定もできないからです。
確約するだけ無駄というものです。
日本はこれまで、イージス艦「きりしま」のほか、護衛艦「はるさめ」、補給艦「ときわ」などを始め、多くの艦船をインド洋に派遣してきました。(→参照)
常時、約300人が洋上勤務しているといいます。
日本から無償で提供された燃料については、およそ約50万キロ、220億円分に達しています。
確かに、支援する石油の金額は膨大とは言えません。
しかし、付帯するコストは結構多額にのぼるでしょう。
展開する艦船の燃料費、消耗品費、人件費、設備費、輸送費などが発生するからです。
防衛省では、これに関する活動費の総額を585億円と算定しています。
国民1人当たりにすれば、500円ほどです。
それでも、それほど大きな金額ではありません。
1991年の湾岸戦争時でのアメリカの戦費総額は、およそ610億ドルとされていました。
このうち、日本は約135億ドルを拠出しています。
1ドル110円とすると、およそ1兆5千億円です。
国民一人当たりにすると、約1万2千円ほどです。
こちらの方がはるかに巨額です。
しかし、アメリカなどからの風当たりは、今回の方がはるかに弱くなっています。
湾岸戦争の時は、「金を出しても、汗は流さない(出兵しない)」ということが批判されました。
アメリカを中核とする、多国籍軍に派兵する国々などからです。
今回は、「Show the flag(軍旗を押し出せ)」(米国高官、2001年)や「Boots on the ground(地上に軍靴を=派兵を)」(米軍中枢、2003年)の期待に応じました。
金額が少ないにも関わらず、風圧が抑えられた大きな一因でしょう。
特に、総費用約585億円に対し、提供する燃料費自体が220億円程度であるということはこれを象徴しています。
日本の支援に、実質的、兵站的(ロジスティックス)な意味はほとんどないということです。
アメリカを中心とする多国籍軍にとっては、日本が参加することに意義があると考えているのでしょう。
日本が本当に自分たちの仲間かどうか、確証を得たいということです。
徒党を組んで行動する子供たちが、お金を出すだけで輪に加わらない子供を、本当の仲間として見ないのと同じです。
ただ、日本には世界に冠たる平和憲法があります。
そのため、この軍事的支援には、憲法と照らし合わせて、法的な根拠が危ういという指摘がありました。
日米安全保障条約に包括されうるか、集団的自衛権の行使に当たるか、などの絡みもあります。
それが政治上の争点になっていました。
問題ないとする与党と、問題ありとする野党です。
とりわけ民主党の小沢代表などは、米国の武力行使を国連が直接容認していないとして、軍事支援に反対の意を表明していました。
小沢代表が、主張の根拠とするのは「国連決議1368」です。
その核心部分を抜粋しましょう。次のようになります。
「安全保障理事会は(略)テロ活動によって引き起こされた国際の平和と安全に対する脅威に対して、あらゆる手段を用いて戦うことを決意し、憲章に従って、個別的、または集団的自衛の固有の権利を認識し…」
この解釈をめぐっては、専門家の間でもさまざまな議論がありました。
アメリカのイラクやアフガニスタンでの軍事行動は、自衛権の行使であり、この決議により認められたものであるとする見解と、それを直接認めたものではないとする意見です。
アメリカは9.11テロに始まるテロ攻撃への自衛のための戦争であるという位置づけを通し、強調てきました。
イラク戦争も、アフガンでの対テロ武力行使でも、それを錦の御旗に押し出しました。
ところが、小沢代表は、国連はアメリカ軍の軍事行動を直接には認めていないというわけです。
「アメリカ」という固有名詞が文言に明記されていないからです。
そこで、日本では様々な論争が巻き起こり、政治決着のための綱引きが盛んに行われるようになりました。
石油の流用・転用の問題も、その中から生まれました。
しかし、先に述べたように、提供した石油についてその用途はトレースできないし、提供した分をイラク戦のために輸送されれば結果は同じです。
この議論に実質的な意味や効用はありません。
「神学論争」、「ためにする議論」(意図的な議論)になりかねません。
ほとんど不毛だということです。
国民のほとんどは、この論争の行方にそれほど大きな関心と具体的な希望は抱いていません。
日々の生活に直結する問題ではないからです。
確かに、この問題、とりわけ集団的自衛権に関する問題などは、長期的、将来的には重要な意味を含んでいます。
しかし、直近の課題としては優先順位は高くありません。
国民感情としては、堂々巡りの議論にムキになるのはやめてくれ、というわけです。
国民はもっと身近な問題、差し迫った課題の解決を望んでいます。
年金問題、最低賃金の問題、経済格差の問題などです。
従って、国民に選ばれた選良(国会議員)たちは、その大切な限られた時間や労力をもっと必要なことに投入すべきだということになります。
もっと喫緊の問題解決に費やすべきだということです。
一向に結論の出ない問題に、執着するなというわけです。
優先順位を定めることが求められていることは確かです。
時間は、過ぎて行きます。
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