●親を恐れても、教師を恐れない!
子供は、教師を恐れなくなりました。
敬意を表することのないのはやむを得ないとしても、遠慮さえしなくなりました。
中には、教師を侮り、軽んじ、みくびる子供も少なくありません。
この最大の理由に一つに、教師が体罰のような厳しい実力行使をできないことがあります。
彼らの中には、教師が手を挙げようものなら、「やれるもんならやって見ろ!教育委員会へ訴えて、辞めさせてやる!」と、息巻く輩もいるほどです。
彼らはどんな反抗的な態度をとろうと、乱暴狼藉に及ぼうと、教師は口しか動かせないことを知っています。
席を離れようと、鉛筆を投げようと、私語を繰り返そうと、漫画を見ていようと、タメ口を叩こうと、廊下を土足で歩こうとを働こうと、口で注意すること以上のことはできないことを見抜いています。
彼らは、教師が何回注意しても、改めようとしません。無視し続けます。
「チョーむかつく」とか、「キモイ」、「ウザイ」などの捨てぜりふを投げつけます。
時には、「俺の自由だろ!」と食ってかかる者もいます。
教師が堪忍袋の緒を切らして、「出て行け」と言えば、「お前こそ出て行け」と返します。
小学校中学年から、思春期前半に掛けてのいわゆるギャングエイジの子供たちは、腕力関係に非常に敏感です。
腕力によって上下関係を決めようとします。力関係が全てのようなところがあります。
(もちろんこれは、大人、特に多くの男性の場合でもほとんど同じです。それは格闘技番組が高い視聴率を集め、人気があることによっても理解できます。)
そのため、力、とりわけ実力行使のできない教師など、取るに足りません。
特に、心の荒れている子供、素行の悪い子供にとってはそうです。
彼らにとっては、腕力の強い友だちや力のある先輩の方がはるかに素直に服従すべき存在です。
しかし、このような子供たちも、厳しい親には横柄な言動をとったり、身勝手極まりない振る舞いをすることはありません。
親が恐いからです。
彼らは、親が食事、身の回りの世話など、生殺与奪の権を握っていることが分かっています。
それ以上に、反抗的な態度をとれば、どんな仕打ちに合うか分かりません。
それを恐れています。
親の中には、平気で体罰を行うもいます。半殺しの虐待を行う親もいるほどです。
理屈なしに、教師より親の方が恐いのです。
教師による序どう殺害事件は年に1,2件もありませんが、親による子殺しは年間数十件もあります。
親による虐待については、相談件数だけでも、年間3万件を大きく越えています。(→参照)
多くの子供たちが、親を恐れるのは当たり前です。
その反動として、何の仕打ちを受ける心配もない教師に対しては、傍若無人な振る舞いをします。堂々と反抗的な態度をとるようになります。
厳しい親は恐れても、優しい教師は全く恐れません。
さらに、親が暴力的な子供ほど、教師に対しては攻撃的になります。
このような風潮が、学校では至る所ではびこっています。
由々しいことです。将来の日本は、どうなるでしょう?憂慮されます。
では、このような教育の現場における病んだ悪風はなくすことができないでしょうか?
確かに、一掃することはできないでしょう。しかし、抑制し、弛めることはできます。
次のようなことに、親と教師は心懸けねばなりません。
・教師は、子供から信頼を得るように努める。(信頼関係があれば、子供はそう反抗的な行動はとりません。)
・親が子供に対して暴力的な養育を行わない。(つまり、真の愛情を持って育てる。真の愛情とは、保護、理解、支えなどの実践です。)
・親は教師に対して、けなしたり、侮ったり、軽んじたりする言動は慎む。(子供は、親の意識や言動の影響を大きく受けます。)
このようなことが実行できれば、事態は改善の方向に向かうでしょう。
確かに、実行は至難です。
しかし、一歩ずつでも改善の方向に進むよう大きな流れを作っていかなければ事態はそのままです。
親や教師の自覚と努力にかかっています。
親や教師の成長がなければ、子供の成長はありません。
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