勉強する理由

何のために勉強するのか?


親の方々は、子供に「勉強しなさい!」ということは多いでしょう。
そんなとき、たいてい子供は不快な顔をし、最後は「何のために勉強するんだ」と反論します。

この問いに対して、口を詰まらせてしまう親御さんたちも多いでしょう。
しかし、「何のために勉強するのか」ということは、きちんと説明することが必要です。
ただ、「勉強しなさい!勉強しなさい!」と繰り返すだけでは、子供はストレスが溜まり、嫌悪感が増すだけです。

「何のために勉強するのか」分からなければ、やる気は起きません。
勉強の目的がはっきりしていなければ、勉強に対する意欲は湧きません。

では、なぜ、勉強しなければならないのでしょう。
それは「お金のため」です。
言葉が生々しいというなら、「生計のため」です。
「より豊かに生活していくため」と言い変えてもいいでしょう。
大人が、「お金のため」に仕事をするのと同じです。

勉強しなければ、どうなるでしょう。
幼稚園の時から、それ以後ずっと勉強しないことを考えてみましょう。
基本的な知識はまったく身に付きません。

文字、そして文章を読むこともできません。
もちろん、字も書けません。
計算もできません。
歴史の知識も、科学の知識も、全く頭の中にありません。
ほとんど遊んだり、飲み食いすることしかできません。

このような人を会社が雇うでしょうか?
効果的な仕事を、きちんとできるでしょうか?
体力のある幼児以上のことはできないでしょう。

従って、生活の資、つまりお金を得ることは難しくなります。
大金を得るためには、宝くじを買うか、悪いことをするしかなくなってしまうでしょう。
貧しい生活、最低限の生活に我慢するしかなくなってしまいます。
その可能性は、極めて大です。

それは、後進国を見ればわかります。
一様に貧しいでしょう。
なぜ、貧しいのでしょう。
その最大の理由は、教育のレベルが低いからです。
勉強をしていないからです。否、勉強ができる環境にないからです。
文字を読めなかったり、計算ができなかったり、歴史や科学の知識を持っていない子供や大人がとても多いからです。

これでは、会計の計算もできないし、物資の注文書への記入もできないし、マニュアルを読むこともできないし、物資の最適な保存方法も分かりません。
もちろん、機械の設計図を描くことも、企画案を作成することもとうていできません。
ましてや、新しい科学的な発明をすることなど論外です。

先進国の人々が、学問的な知識で作り上げたブルドーザーを動かして土を掘っているとき、後進国の人たちは、集団でくわを振るい汗水垂らして土と格闘していなければなりません。
これでは何年経っても、貧しさから脱却できません。

国の発展、特に経済的に豊かになるためには、勉学は絶対に必要です。
それは、明治時代の富国強兵政策を見ても分かると思います。
明治政府は、国の経済力を発展させ(富国)、軍事力を強化(強兵)するために、早々と学制を発布し(明治5年)、義務教育化に乗り出しました。

国民の教育レベルが低ければ、経済を発展させることも、兵器を作ることも、優秀な兵士を育てることもできないことを、明治政府は強く認識していたわけです。
学力が低ければ、先端の産業を自国に根付かせることはできません。
兵士が高性能の兵器を扱うことも、メンテナンス(整備、管理)することもできません。

このことは、現在でも全く変わりはありません。
そして、個人においても、当てはまります。
つまり教育レベルが低ければ、豊かな生活力は得にくいと言うことです。

とりわけ、企業においては、教育レベルは非情に重要な要素となります。
まず、採用は、学力のレベルがかなり大きな条件となります。
企業にとって、知識の量、思考力、論理性、読解能力、文章作成能力、立案構想能力などが大いに必要とされるからです。

それらの大小によって、企業業績が大きく左右されるからです。
企業の儲けも発展も、社員の力、とりわけ知力に大きく依存しています。
一人の天才がいれば、何千億円もの利益を得ることだって可能です。

だから、採用に当たっては、学歴が極めて重視されます。
学歴と知力の間には、強い比例関係があるからです。
学歴には、学力が反映しています。

大企業ほど、これははっきりしています。
実際、私も経験しています。
ある大企業では、採用日や面接室が学歴によってランクわけされていました。
東大・京大クラス、一流国立大学クラス、早慶クラス、それ以外の4つです。
上位のクラスから順次採用が決まり、最下位のクラスに属する学生にはほとんど出番がありませんでした。厳しいものです。

それほど、企業は学力レベルに敏感です。
個人の学力レベルに将来の企業の命運がかかっているのですから当然でしょう。
大企業ほど学歴レベルが高く、また社内の地位が高い者ほど学歴の高いものが多くなっています。

これに呼応するように、給料も、企業の大きさによって格差があります。
たとえば、平均的な月収が大企業が50万円であったとすると、中企業は40万円、小企業は30万円、零細企業や派遣社員などは20万円のようになっています。
同じ会社内でも、社長から平社員までの地位によって、給料には格差が与えられています。
十倍以上の差です。

これらのことは、学力が高いほど、所得が高くなるという真実を見事に描き出しています。
高額所得者に占める割合が最も多い医者や弁護士などは、さらにこのことを鮮明に証しています。

「何のために勉強をするのか」と問いかける子供には、このことを明確に説明すべきです。
勉強は、就職を有利にし、より多くのお金(給料、所得)を得るために必要だということです。
さらに将来、より豊かな経済生活を望むなら、勉強は欠かせないということです。
逆に、勉強を怠れば、職業の選択肢は狭められ、豊かな生活は制約されうると言う生々しい現実を見つめさせることも必要です。

子供には、10年後、20年後、30年後の経済生活を考えさせるべきです。
将来の生活を見つめさせることも必要です。
その時、きちんとした生活が送れるためには、勉強が必要であることを自覚させるべきです。
勉強は、お金(生活の資)を得るために必要であるということははっきりと理解できるようになれば、勉強に対する姿勢も変わってくるでしょう。

なお、思春期にある子供は、勉強ができ所得の多い方がもてるという現実や、結婚に有利になるという現実に目を向けさせてもいいでしょう。
異性にとっても、相手の生活力の大きさは魅力だからです。
異性の気を引くということになれば、勉強に対する意欲も湧いてくるでしょう。
邪道ですが、勉強に対する意欲を刺激するきっかけにはなりえます。

勉強は、本来、いろいろな知識を学ぶことにあるのですから、それ自体魅力的で楽しいはずのものです。
しかし、現実には、数学の論理にも、文章の面白さ、歴史や科学の知識にも、ほとんど関心のない子供は多いのです。

学ぶこと自体に興味を持たせることは、極めて難しいことです。
これらが深く、高レベルになればなるほど特にそうです。
これは、何十年、何百年経っても変わりません。

本当に純粋に知識欲を持った子供は、上位1割前後といってよいでしょう。
他の子供たちは、ゲームやテレビやお喋りなどの方に気を取られ、学識的なことにはなかなか興味は湧かないものです。
自主的、積極的に知識を吸収しようとする子供たちは限られていると言っていいでしょう。

でも、勉強は必要です。
生きていくための手段です。武器です。
それらは、将来の生活のためになくてはならないものです。
少なくとも基本的な知識は必要です。
そのためにも、勉強の必要性を納得させるべきでしょう。

子供たちも、自分の将来に大きく関わることとなれば真剣に考えるはずです。
きっと、気付いていってくれるでしょう。