●子どもの計算力の低下は著しい!
日本の子供の基本的な計算力が著しく低下しています。
この傾向は、ここ10数年、特に顕著です。
30年以上、子供たちと接する中ではっきりと感じ取れます。
その最大の原因の1つは、電卓の利用にあると考えられます。
1992年、小学校5年生以上の算数で、電卓の積極的な利用が認められました。
さらに、平成14年度からは、小学校4年生から、算数で電卓を使うことが認められました。
少し面倒な計算は、自分の力で計算しなくて済むということです。
子供たちは、簡単な計算さえ電卓に頼るようになりました。
電卓がない場合は、それを避けるようにさえなりました。
計算力の低下は、簡単な暗算ができないということに典型的に現れています。
どのくらい低下しているのか、例を挙げましょう。
たとえば、小学校高学年でも、15+8のような計算の答えがなかなか出ません。
5,6年生でも、半数くらいの子供が、この暗算に指を使います。
顔の前に両手を広げ、指を折ります。
さらに、別の具体的なケースを挙げましょう。
小学6年生でも、学力が中位レベルのかなりの子供が、次のような暗算ができません。
答えが出るまで非常に時間がかかるか、筆算を要します。
8+16 24-9 15×2 36÷2
このような基礎力の欠如のために、次のような問題にも困難が生じています。
16と36の公約数は?
36が2や4で除せる(割れる)かどうか分からないために、動きが止まってしまうのです。
また、分数の加減、例えば、13/24ー5/12(/は分数線(分数罫、括線、vinculum))のような計算も困難です。
24が12の公約数であることを即座につかめないため、通分が行き詰まってしまうのです。
このような傾向は、中学入学後にも続きます。
中位レベルの子の多くが、次のような計算に筆算が必要です。
とっさに解答できません。数十秒かかることが少なくありません。
27×3 96÷6 2/3×6(3分の2 かける6)
高校生でさえ、下位4分の1ほどの学力の子は、しばしば次のような暗算が困難です。
37+86 4×5×4
電卓の活用は、「基礎的な計算力を十分身につけた子供には、考える時間や理解を深める時間を増やすべき」との考えからでした。
今や、それは逆効果になってしまいました。
計算すらできない子供が激増してしまいました。
しかも、子供たちの思考力に深化は見られません。
元々考えることの苦手な子供は、思考力を要する問題は不得手です。
思考力はかなりの程度、先天的なものです。
それは、知的能力の標準偏差(ばらつきの度合)は、長期的にほとんど不変であることを考えても、理解できます。
しかし、基本的な計算力なら、大半の子供に付けられるはずです。
ところが、考える力に配慮するあまり、それを犠牲にしてしまいました。
その結果、基本的な計算さえできない子供が増えてしまいました。
電卓の導入で、子供たちは、計算が面倒と感じたときは、すぐにそれに頼るようになりました。
とりわけ、2桁の混じる計算には、安易に電卓に手が延びます。
そのため、基本的な計算の練習や努力が大きく不足することになりました。
それが、計算能力を低下させているのは否めません。
確かに、5,6桁以上の乗法・除法などでは、電卓の利用価値は大きいと言えます。
このような多桁の暗算に習熟することには、それほど大きな意味があるとも思えません。
とりわけ、高等数学に取り組む人たちには、複雑な数値計算は負担になります。
このような場合、計算機は欠かせないし、大きな効用を発揮するでしょう。
しかし、小・中学生や、基本的な計算力に欠ける高校生には、やはり電卓に頼ることは危険です。
弊害が大きすぎます。
2、3桁までの計算には、電卓の利用は避けるべきです。
現在、進行している日本の子供たちの基本的な計算力の低下は懸念すべきことです。
これは、将来の大人の計算力の低下にもつながります。
基本的な計算力は、職業能力としては必須のものです。
経済の発展と深く結び付いています。
これは、インドのことを考えても理解できるでしょう。
インドでは、大くの子供たちが二桁の九九を学ぶといいます。
それがインドをIT先進国に台頭させた大きな要因になっていると言われています。
最先端のコンピュータソフト開発に、大きなプラスの効果を与えているということです。
基本的な計算ができない国民では、豊かな経済社会を支えることはできません。
日本は、経済的にも二流国に成り下がる可能性があります。
貧困国になる恐れさえ、今や杞憂ではありません。
教育大国の崩壊が現実化しています。
将来がとても憂慮されます。日本の行く末です。