老親への虐待

なぜ老親を虐待するのか?


9月21日、厚生労働省から高齢者を対象とした虐待調査が公表されました。
それによると、家族や親族による65歳以上の高齢者への虐待が、昨年度、全国で約1万2600件に上りました。
虐待をしていたのは、半数が息子(37%)と娘(14%)で、配偶者は19%を占めています。

確かに、老親の介護は容易ではありません。
特に、寝たきりや認知症(痴呆)の場合は過酷です。
入浴の介助、トイレの介助、汚れた衣類の交換、床ズレ防止のための体位変換は言うに及びません。
時には、嘔吐物の処理、糞便にまみれたオムツの交換、糞尿のこびり付いている陰部の清拭、石のように固まった宿便の掻き出しなども必要となります。

それらの多くは、ヘルパー、介護職員、看護師などが行ってくれます。
しかし、全面的に彼らに頼り切るわけにはいきません。
ある程度は、家族が行わなければなりません。
認定された介護レベルの支給限度額以上の利用は全額自己負担となるからです。

それらは、数万単位、時には数十万単位で増えることもあります。
それを抑えるためには、家族の負担も必要になります。
時には、時間的にも、労力的にも、長期的に重い負担がかかってきます。

このようなとき、家族、とりわけ彼ら子供の取る態度、行動は様々です。多岐に分かれます。
丁寧に、心を込めて、温かい介護を労苦厭わず行う者もいます。
知らぬ振りをして、できるだけ世話や介護の煩労を避けようとする者もいます。
放置する者もいます。
さらには、手の掛かる老親に対し、怒りをぶつけ暴力的な加虐を行う者もいます。
激しい虐待で死に至らしめる者もいます。

このように、世話や介護の仕方、姿勢、態度が分かれるのはなぜでしょう?
それは、それまでの長い間に築かれてきた、親子関係に求められます。
老親への関わり方も、長い過去の親子関係の延長上にあるということです。

親が愛情深く子供を育て、愛情を持って子供と接してきたならば、子供は愛情を持って、親の世話や介護に努めるでしょう。
しかし、逆もまた真です。
親が、真の愛情を持たず、不適切な子育てや、接し方をしてきたならば、子供は怒りや憎しみやを心の底に蓄積させています。
不適切な育て方とは、支配、抑圧、管理、干渉、疎外、軽侮、拒否、放置などです。

そのような場合、親に対し、心を込めた温かい世話や介護をするはずがありません。
積年の恨みがあります。
それが暴力的な虐待に発展しても、全く不思議はありません。当然とも言えます。
ここには、報復の情念が含まれています。

老親にとって、辛い仕打ちは、子供の心を荒らし、歪ませた長年の付けが、回ってきたと言うことです。
自業自得とも言えます。
子育ての最大の責任は親にあるからです。
子供の心を作った最大の人間は親自身であるからです。
それを正視し、自覚しなければなりません。
自分の愛情不足を棚に上げて、子供に愛情を求めるのは、虫が良すぎます。

なお、子供が親に対して怒りや恨みを抱いていても、優しく世話や介護をすることがあります。
それは、多くの場合、遺産目当てです。相続財産があるからです。
それらが全くないか、負の遺産(借金)がある場合は、本来の気持ちに従うでしょう。

しかし、数十万、数百万単位の利得がかかっているとすれば、態度や行動は変わらざるを得ないでしょう。
つまり、彼らの丁寧な世話や介護は、上辺のもの、見せかけのものというわけです。
テレビドラマなどでも演じられる通りです。
そのような真実も、頭に入れておくべきです。

もし、将来、子供の温かく心のこもった世話や介護への期待を多少なりとも持つならば、日頃から子供に対し、真の愛情を持って育て、触れ合うことです。
あくまでも、老後の親子関係も、過去のそれの延長上にしかないということです。

親の子供への愛情が大きいほど、子供の親への愛情も大きくなります。
強い正の相関があります。比例するということです。
真の愛情とは、子供を守り、支え、受け入れ、理解し、味方になるということです。
それを確認して欲しいと思います。