為替相場の歴史

戦後の為替相場(円高)の歴史



戦後の経済、特に為替相場(円高、円安)の一連の流れは解りにくいものです。
普段から経済の動きに目を向け、馴染んでいるエコノミスト以外の方には、なかなか明瞭に把握しにくいでしょう。


そこで、戦後の為替相場の流れを、IMF体制の発足(1944年)から、バブル崩壊(1990年)までをまとめてみることにしました。
円高の歴史とその背景といってもいいでしょう。(→参照
次のようになります。


1944年(終戦直前):ブレトン・ウッズ協定
 
→ブレトン・ウッズ体制(IMF体制)の発足。
 ・国際通貨基金(IMF)、国際復興開発銀行(IBRD:世界銀行)、GATT(関税・貿易
    に関する一般協定)を創設。
 ・固定相場制の承認、金・ドル本位制の採用。
  ※金1オンス(約31g)=35ドル、1ドル=360円に固定。
1965~75年:アメリカは、ベトナム戦争で戦費肥大。
 →大量の国債発行→財政赤字、インフレ→ドルの価値、信用が低下。
1971年8月:ニクソン・ショック…金とドルの交換を停止
 →ブレトンウッズ体制(IMF体制)の崩壊の始まり。
 ※金・ドルの交換比率が固定されたまま、ドル安になれば、外貨にとっては金が安価
   になり、アメリカは金の流出を許すことになる。アメリカにとって、ドル安は危険となる。
   ドル安を容認するならば、その前に、金とドルを切り離す必要がある。
 ※アメリカが輸出を拡大するためには、ドル安が求められる。
1971年12月:スミソニアン協定…ドル安を図り、新しい固定相場制に移行。
 ※1ドル=308円
1973年完全変動相場制へ移行…さらにドル安を図る
 →スミソニアン体制崩壊、IMF体制崩壊。
1978年1ドル=170円台まで円が高騰(ドル暴落)(→参照
 →カーター大統領がドル防衛策。
 ※ドル安は、アメリカの購買力を弱めたり、国内のインフレ要因となる。
   (ドル保有国には、ドルを持っていることへの不安と、ドルへの信用低下が起こる)
1980年代前半:レーガン大統領がドル高政策→貿易赤字の拡大。
 ※レーガン大統領の経済政策は、大型減税、歳出削減(小さな政府)、規制緩和など
     (レーガノミックス)。
1985年プラザ合意…5カ国蔵相会議で、ドル安(円高)を是認。
 ※アメリカは、ドル安により輸出を増やし、貿易赤字の解消を図る。
1986年1ドル=150円台に→円高不況が進行
 →日本は公定歩合(金利)の引き下げで対応。
1987年2月:ルーブル合意…ドル安を止めるため、協調介入を行うことを決定。
1987年10月:アメリカ株の大暴落(ブラックマンデー)から世界同時株安。
1988年1ドル=120円台まで高騰→日本は輸出減少による不況の危機 
 →日本は危機回避のため、公定歩合の大幅な引き下げ(金融緩和)を続行
 →貨幣の供給が過剰→インフレ(特に、株・土地が高騰)→バブル発生。
1990年バブル崩壊


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