■少年は、なぜ祖父を殴り殺したか?
8月22日、16歳の少年が祖父(79歳)を殺害したとして逮捕されました。
事件は、19日の夜、山口県上関町で起きました。
祖父をバットで殴り、電気コードで首を絞めて殺害したとされています。
誠に凄惨で、痛ましい事件です。
しかし、このような家族に対す事件は、現実にはしばしば起きています。(→参照1、参照2)
親や祖父母を殺したり、兄弟を殺めたりする事件です。
この背景には何があるのでしょう。
その深層には、必ず共通したものがあるはずです。
それは、通常、加害者に膨大な憎しみや怒りが蓄積していたということに求められます。
それが、最大の共通要因として考えられます。
今回の少年も、それが煮えたぎり、爆発寸前まで膨張していたはずです。
それが、祖父の言動がきっかっけで、暴発をしてしまいました。
彼は、まさにルサンチマンになっていました。
激しい怒りや憎しみの権化です。
では、この怒りと憎しみの情念、負のエネルギーを蓄積したものは何だったでしょう?
それは、祖父の抑圧と支配、それに自己中的な憂さ晴らしにあると考えられます。
祖父は、日頃から、勉強をせよと強く言っていたといいます。
細かいことにも、ああしろ、こうしろ、といって干渉していたのでしょう。
少年のやることにに、いちいち文句を言ったり、ケチを付けたりしていたのでしょう。
祖父は、孫を自分の思い通りに仕立てようとしていたというわけです。
そのため、口うるさく指図していたわけです。
もちろんこのような場合、干渉や管理は、真の愛情からでたものではありません。
自己中心的な思い込み、身勝手なエゴイズムから生じたものです。
このようなタイプの人間は、たいていいつも自分が一番偉いと思っています。
何でも自分の思い通りにようとします。
そうならないと気に入りません。
そこで、納得がいくまで、管理干渉、支配を行います。
同時に、祖父は、少年をストレスのはけ口にしていた可能性もあります。
家の外で十分に通せなかった、自分のわがままの憂さ晴らしを少年に吐き出しているのです。
家の外では、自分の身勝手はなかなか通りません。
そこで、ストレスを溜め込みます。
これを家の中で吐き出すわけです。
この老人は、自分の家族に対し、ずっとそうしてきた可能性は十分に疑われます。
しかし、標的にされた人間はたまりません。
抑圧、管理、干渉、支配の対象にされ、ストレスのはけ口にされたのでは、耐えられません。
同じ状況に置かれれば、ほとんどの人は、怒りを爆発させたい気持ちになるでしょう。
しかも、この少年は、ほとんど成人している若者でした。
ただ、この少年が祖父母と同居を始めたのは、1年前だったといいます。
1年間では、祖父に対して、殴り殺すほどの怒りと憎しみを充満させる可能性は、それほど高くはないでしょう。
その前に、既にかなりのルサンチマンとなっていた可能性は大です。
もちろん、その最大の原因は彼の最も身近な者に求められます。つまり、彼の親です。
少年は、彼の親(両親かも知れないし、片方の親かも知れない)からも、抑圧され、支配され、管理され、しかも、ストレスのはけ口にもされてきたことが疑われます。
親からも、祖父からと同じような、仕打ちを長年受けてきたということです。
そうなると、祖父と同居を始めた段階で、すでに怒りや憎しみの感情、負のエネルギーが蓄積していたということになります。
とりわけ、常軌を逸する激しい暴力行為に及んだと言うことは、彼も親からしばしば暴力的な仕打ちをを受けてきたことが推測されます。
小さいときから、厳しく押さえつけられたり、殴られたりしてきたと言うことです。
まさに、暴力の連鎖です。
彼は、暴力性を親から刷り込まされていたのです。
そうでなければ、前途ある若者が殺人行為を暴発させるようなことまでしないでしょう。
よほど、先天的に残虐な資質があり、精神的な異常性がない限り、破滅的な行動に駆られないはずです。
このことは、裁判の過程で明らかにすべきです。
成育の過程が明らかになれば、これからの同様な事件を防ぐ大きなヒントを与えるでしょう。
少年は、自分の将来を暗澹たるものにしてしまいました。
彼は、生涯祖父殺しの思い十字架を追い続けることになります。
恐らく、結婚もできないでしょう。家族を持つこともできないでしょう。
正規雇用からなどは、全て排除される可能性もあります。
再起は、至難でしょう。
彼も、そのくらいのことは、うっすらとは気付いていたはずです。
少年は、祖父母から離れるべきでした。
それができなければ、少なくとも、あと2年は、耐えるべきでした。
そうすれば、高校を卒業し、たいてい郷里を離れることになります。
それもできなければ、自活の道に踏み出してもよかったでしょう。
大変でしょうが、殺人者になるより、はるかに増しです。
このような方法を採れないなら、少なくとも、殴り倒すくらいに留めるべきでした。
相手は80歳近い老人です。
スポーツマンの彼には十分可能なはずです。
彼は、逮捕されるでしょうが、罪も罰も、殺人よりはるかに軽微です。
ただ、この祖父のようなタイプの人間は、自分が殴られれば、激しく逆上し、包丁を取り出す可能性もないとは言えません。
孫の彼は祖父のこのような資質を予想して、反撃の手を完全に封じるように、徹底的にさせたのかも知れません。
もし彼が、怒りと憎しみの矛先を祖父に向けなかったならば、必ず、第三者にそのはけ口を求めたでしょう。
暴力的な負のエネルギーの流れは常にそうです。
腕力の弱い友だち、周囲の立場の弱い人間が生け贄になったはずです。
将来は、自分の妻や子供が犠牲になったに違いありません。
それはかなり無差別敵になり、終わりのない物になったでしょう。
しかし、今回、彼は怒りや憎しみの爆発の矛先を、その最大の元凶である祖父に向けました。
彼の胸の内にある矛盾は、大筋解決したはずです。
病んだ負のエネルギーは、ほとんど雲散霧消したはずです。
ただ、もし親との矛盾が残っているなら、それは解決されなければなりません。
そのためには、親が、自分の過去の養育姿勢を反省し、子供に謝罪し、子供を真の愛情で包むということが求められます。
真の愛情とは、相手を守り、支え、理解し、味方になるということです。
物を与えたり、管理、支配することではありません。
これが達成されれば、負のエネルギーは消滅していくでしょう。
彼はルサンチマンを克服できるはずです。
怒りや憎しみを無実な第三者に吐き出す必要性はなくなります。
彼は健全な精神を取り戻すでしょう。
しかし、それでもなお、今回の事件がとてつもなく悲惨で不幸なものであったことに変わりはありません。
やりきれないことです。
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