畠山鈴香の心・1

鈴香の心を壊したのは誰?

「秋田連続児童殺害事件」で、殺人と死体遺棄の罪に問われた畠山鈴香被告(34)の第13回公判が1月25日、秋田地裁(藤井俊郎裁判長)で開かれました。

一昨年の4月9日、自宅近くの橋の欄干から長女、彩香ちゃん(9)を突き落として殺害し、その直後の5月17日、2軒隣に住む米山豪憲君(7)の首を腰ひもで絞めて窒息死させ、遺体を遺棄したという事件です。

誠に痛ましい事件でした。
まさに極悪非道の残虐行為です。
ではなぜ、母親でもある女性がこのような冷酷無道に手を染めたのでしょう?

彼女は、完全にまともな人間としての心を失っていました。
心は壊れ、病み、汚濁し、凍り付いていたということです。
どうしてでしょう?

そこには、必ず理由があるはずです。原因、背景があるはずです。
そうでなければ、幼気(いたいけ)な子供を2人も手に掛けるはずはありません。
それを推し量ってみたいと思います。

まず、彼女の心が壊れ、病み、汚濁し、凍り付いていたのは、生まれつきではないと考えられます。
先天的な脳の異常とか、脳疾患とか、脳の器質障害であることはまずないはずです。
その可能性も皆無ではありませんが、極めて低いといってよいでしょう。
主因は、他にあります。

それは、生い立ち、育ちです。そこに求められます。
生まれてから成熟するまでの育ちの過程が、彼女の心をそのように形作っていったのです。
彼女の受けた体験、環境です。
ではそれは、どのようなものだったのでしょう?

次のような言葉が、彼女の心の暗部を解く鍵となります。
それは、彼女が公判で語った陳述の中にあります。
彼女は、次のように語っています。
「(父親は自分を)機嫌が悪いと言うだけで殴った」
「20歳のころまで父親にたたかれ、父親の顔色をうかがう生活だった」
「父と母は、いつも喧嘩していた」
「小中学校でもいじめられ、『心霊写真』、『ばい菌』と呼ばれていた」
これの言葉は、彼女の育ち、生い立ちを察するに十分です。
※公判の記録の全容については、こちらをご参照下さい。→公判

とりわけ、自分の最も愛し、守られるべき父親から暴力を受け続けていたことは注目すべきです。
それが彼女の心を破壊した最大の原因でしょう。
それだけでも、人間としての倫理性や情緒性を失うに十分です。
凶悪犯罪に至る道に進む条件は用意されます。

この父親は、世の暴力的父親の通例のごとく、自分の妻や被告の弟に対しても、日常的に暴力を振るっていました。
弟は、次のように語っています。
「母親が殴られたりけられたり、髪の毛を引っ張られるといった光景は喧嘩のたびにあった」
「(自分も)叩かれているのはしょっちゅうあったので、いちいち覚えていない」
「小さいころに姉とけんかをして私が刃物を持ち出したことがあり、父にTシャツが血まみれになるほど殴られた」
自分の暴力は棚に上げておいて、子供間の暴力行為に対して逆上し、暴力を振るっているわけです。

さらに、彼女は学校でも痛めつけられます。
小学校から高校まで、持続的に加虐的な仕打ちにあっていました。
中傷され、罵声を浴びせられ、けなされ、嫌がらせをされるなどが繰り返されていました。
高校の卒業文集には、彼女に対する酷い暴言が書き連ねられています。(→参照
彼女は、完全に孤立し、疎外され、排除されていました。

公判の中に、次のような弁護側と被告のやりとりがあります。
弁護側 「友達は?」
鈴香被告 「いなかった」
弁護側 「話をする友達は?」
鈴香被告 「いなかった」

彼女の逃げ場はどこにもありませんでした。
彼女は人生のどの場に置いても四面楚歌という境遇です。
なんて悲惨な育ちの日々だったのでしょう。
なんと苛酷な生い立ちの日々だったのでしょう。

世の中が信じられず、人が信じられなくなるのは当然です。
温かい心を失うのは自然の理です。

ただ、ほとんどの人間は親の愛に恵まれなくても、誰か優しい手を差し伸べてくれる人間がいるものです。
いわば救世主のような存在です。
それは、友だちであることもあれば、教師であることもあれば、縁者であることもあります。
多くの人間は、そうやって救われ、身を堕することなく人生を歩み続けています。

しかし、彼女にはそのような温かい手が差し伸べられた痕跡がありません。
不運、不幸と言うしかありません。
少なくとも結果的にはそう言えます。

もちろん、最大の責任は親にあります。
彼女は、愛情の代わりに父親から無情な暴力を受けていたわけです。
父親は、怒りや不満に任せて、自分の娘を殴りつけ、蹴飛ばしていたのです。

家庭内暴力を振るう男、父親には皆、共通した資質があります。
次のようなものです。
 ヒステリー 臆病 卑怯 偽善的 凶暴 自己中心的 野卑
家庭内暴力は、これらの人間的な資質の結果です。
そうでなければ、狭い閉鎖空間の中で、震える弱者に対して暴力を振るえるはずはありません。

10人の男がいれば、2,3割はこのような男がいるはずです。
10人の父親がいれば、2,3割はこのような父親がいるはずです。
DVの統計的数値や、周囲の経験則から判断できます。

彼らをよく観察してみてください。
彼らの本性を見抜いてください。
彼らは信頼できる人間ではありませんし、敬意を持てる人間でもありません。
心を許すのも、深入りするのも危険です。
彼らは、社会病理、社会の荒廃の元凶となっています。

以下、次回の記事で。