■夫殺しは正当防衛では?
昨年12月、東京都新宿区の路肩で外資系金融マンの三橋祐輔さん(当時30)がバラバラ死体で発見されるというセンセーショナルな事件がありました。
犯人は、彼の妻、歌織被告(33)でした。
彼女は、遺体を切断して捨てたとして、殺人と死体損壊などの罪で起訴されました。
この事件は当時、セレブ殺人として話題を集めました。
その残虐性ばかりでなく、経済的には豊かな生活をするエリート夫婦だったからです。
夫は数千万円の年収(一説に寄れば、1億円以上)を得ていたと言います。
両者は、容姿・容貌にも恵まれていました。
この初公判が20日、東京地裁で開かれました。
その中で明らかになったことを中心に事件の本質に迫ってみたいと思います。
何よりこれは、正当防衛の延長上にある犯罪であるということです。
罪悪性は、相当に軽微であるということです。
強盗目的や愉快犯とは、全く異なるということです。
歌織被告の語ったこと、歌織被告のおかれていた状況などについて、弁護側は次のように陳述しています。
「品川区のマンションに引っ越したときには、2日で水道が開設できていないことを理由に殴られ、倒され、首を絞められ、引きずられた。15年10月ごろから日常的に暴行を受けるようになり、歌織被告は逃げたいと思うようになった。祐輔さんはベルトやガムテープで(歌織被告の)手首を縛ったり、口をふさいだりした」
「祐輔さんは酒を飲んだりして帰宅も遅く、歌織被告は風呂にも入れなかった。また、化粧をしていると、外出して浮気をしているのではないかと疑い、被告は化粧をすることもできなかった。」「祐輔さんは、浮気をしていないかと歌織被告を追及し、外出先でも領収書を取っておくように命令した。携帯の履歴を確認したりして疑った。被告は暴力も振るわれて(夫を)常に恐れ、緊張した状態だった。」
「祐輔さんは歌織さんのキャッシュカードを折り、ライターで溶かした。服を切り裂くこともあった。外出先から歌織さんにメールや電話で『何をしているのか』を執拗に追及した。買い物をしていると言っても信じようとせず、周囲を写真撮影させ、メールに添付させることもあった。帰宅した歌織さんの体のにおいを確認することもあった」
「平成17年6月27日、歌織被告は祐輔さんから顔面を殴られ、『てめぇ、逃げられると思っているのか、今日こそ、ぶっ殺してやる』と言われ、裸足で隣の病院に逃げた。鼻骨を骨折して警察に保護され、シェルターに避難した」
「歌織被告は、祐輔さんから名前を呼ばれただけで恐怖を感じるようになっていった。被告は暴力に使われそうなものを隠し、いつでも逃げられるように携帯を持って生活していた」
ここからは、典型的なDV(Domestic Violence家庭内暴力)の構図が読みとれます。
激しい夫からの暴力と支配です。
被告は、日常的に悲惨な被害者となっていました。
このように日常的に苛酷な支配や暴力を受けていれば、被告にに怒りや憎しみが蓄積するのは当然です。
心身が疲弊し、病み荒んでいくのは避けがたいことです。
歌織被告は、顔面を殴られ、「てめぇ、逃げられると思っているのか、今日こそ、ぶっ殺してやる」といわれ、鼻骨を骨折し、裸足で逃げています。
「いつかは殺される」と思っても当然でしょう。
自分の身を守るためには、殺すしかないと考えるようになっても不思議ではありません。
正当防衛の論理です。
仮に、被告が中途半端な反撃をしたら、夫は逆上し、さらに激烈な暴力を加えたでしょう。
それは、火を見るよりも明らかです。
暴力的な人間の場合は常にそうです。
少しの抵抗で、暴虐をエスカレートとさせます。
彼女が夫を殺さなかったら、逆に自分が殺されていた可能性は、決して小さくありません。
実際、体の弱い人が、殴る蹴るの暴力で命を落とすことはよくあります。
被虐によって、歌織被告は徹底的に攻撃し、相手を消し去るしかないと決意しました。
彼女は、「早く祐輔さんを消し去りたいと考え(殺害した)」と語っています。
「過去の暴力の記憶がよみがえり、無我夢中で殴打した」ということです。
死体をバラバラにしたことについては、「運ぶことができなかったため」としています。
彼女は結局、怒り憎しみを加虐者である夫に向けました。
負のエネルギーを爆発させ、報復することによって、収支のバランスを取ることができました。
帳尻を合わすことができました。
もし彼女が、怒りや憎しみ、屈辱を胸の内に押さえ込んだらどうなったでしょう。
いくつかの結果が考えられます。
次のようなものです。
・彼女自身の精神に異常を来す。
鬱が更新し、自殺に至ることが十分考えられます。
・周りの弱者に負のエネルギーを転嫁させる。
邪悪なエネルギーを周囲の弱者に向かって暴力的に発散させるということです。
自分の子供がいたら、彼らに対して虐待という形で放出したかも知れません。
それは子供を暴力的な人間や犯罪者にします。
・放火、器物損壊、万引きなどの犯罪に手を染める。
自暴自棄の犯罪によってストレスやフラストレーションの解消を図るということです。
しかし、彼女はこれらに突き進むことはありませんでした。
報復の刃先は、まさに加虐者本人に向かって突き出されました。
これによって、充満した負のエネルギーは一気に解消しました。
矛盾は克服されたはずです。
「暴力が犯罪を呼び、犯罪が暴力を招く」という犯罪と暴力の連鎖は回避されました。
彼女が、再び罪を犯すことはまずないでしょう。
よほどの苛虐な仕打ちを受けない限り、彼女が邪悪な行為に手を汚すことは、もはやないでしょう。
歌織被告は、父親と確執があり、実家にだけは戻れないと考えていたそうです。
「父親の愛情に恵まれないな娘は不幸になる」、「父親と不和な娘は不幸になる」と言います。
まさに、その通りになってしまいました。
親は彼女を守り、支えることができなかったわけです。
親の責任も免れ得ないでしょう。
では、殺された男性の親は、どうでしょう。
単なる被害者としての範囲に留まるのでしょうか?
男性の母親は、次のように語っています。
「私も希望の糸が断ち切れ、頭は真っ白。祐輔との日々が走馬燈のように浮かんだ。『祐輔は何をしたの?歌織はなんてひどいことをしてくれたの?』と同じことを何度も心の中で叫んだ。」
「大事な祐輔がこんなことになったという悔しさと、祐輔がこの世にいない悲しさ。なぜバラバラにされなければいけなかったのか」
「憎しみで体がはじけそうになった。そんなことを普通の感覚でできるのか?歌織は悪魔なのか?こんなに人のことを憎めるのかと言うくらい、歌織が憎かった。」
しかし、自分の息子は、前述したように、愛すべき自分の妻に対し暴虐の限りを尽くしていたわけです。
自分の息子に真の愛情が育っていなかったということは否定しようがありません。
もし、母親が自分の息子に対し真の愛情を持って育てれば、最も愛すべき自分の妻に殴る蹴るの激しい暴力と支配を加えるような人間には育たなかったはずです。
母親の育児・養育の責任も問われて良いでしょう。
被害者の男性は、一人息子であったといいます。
思い切り我がままに育てられたのかも知れません。
その結果、暴君が育ってしまった可能性を否定できません。
やはり、そこに欠けていたと思われるのは真の愛情です。
溺愛が優先し、真の愛情が後退してしまったということです。
一般論として述べます。
暴力的な子供を育てる親には、親もまた、暴力性を抱えています。
その内面には、激しい怒りや憎しみの感情が渦巻いています。
いわゆるルサンチマンです。
その負のエネルギーが子育ての中に織り込まれ、自分の子供にも暴力性を植え付けるわけです。
暴力性の親子間連鎖です。
このような親は一旦、自分や自分の子供が被害者となったときには、過剰な被害感情を抱きます。
加害者に対し、より激しい怒りや憎しみを掻き立て、攻撃的、報復的な反応を爆発させます。
親によっては、ここに多額の損害賠償を引き出すための意図を絡ませることもあります。
問題の解決は、緊張と対立を孕んだより一層難しいものになります。
この親の胸の内は、どうだったのでしょう?
いずれにせよ、女性は、殺人という重い罪を犯してしまいました。
自分の夫を惨殺して、逃げ切れるものではありません。
矛盾のコアー(核)は、解消したのだから、潔く自首すべきでした。
その上で、夫に殺される恐怖から追いつめられ、暴走してしまったと弁明すべきでした。
自分の身を守るための正当防衛だったと主張すべきでした。
それが認められれば、情状酌量を得られたでしょう。
歌織被告は、一生大罪を背負わなければなりません。
大切な時期を高い塀の中で過ごさなければなりません。
将来も暗雲が立ちこめています。
結婚も難しいだろうし、子供や家庭を持つことも不可能でしょう。
死ぬまで、長い長い茨の道しか残されていません。
なんとしてでも、殺人以外の解決方法を求めるべきでした。
実に悔やまれます。