●勉強ができる子は運動がニガ手?
「勉強ができる子は、運動がニガ手」としばしば言われます。
そう思われたりしています。
本当でしょうか?
今回は、それを確かめてみたいと思います。
高校生の体力テストの結果を基にします。
このテストは、私の在住する県(静岡県)で本年実施されたものです(県高体連主催)。
県内の公立、私立など合わせて、およそ150ほどの高校が参加しました。
種目は、50m走、持久走、立ち幅跳び、ハンドボール投げなどです(→参照)。
その中から、優秀な成績を残した高校や生徒が表彰されました。
最優秀校、優秀校として選ばれたのは14校です。
これらの高校が、学力的にどのレベルに属するのか調べてみました。
全高校を学力の偏差値順に、最上位の10から最下位の1までの10段階に分けました。
各ランクには、ほぼ同数の14~15校が属しています。
結果は、次のようになりました。
学力ランキング 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1
優秀校数 7 4 3 0 0 0 0 0 0 0
極めて明瞭な結果です。
想像以上に、学力と運動能力には、強い正の相関があることが分かりました。
世間でよく口にされる、「勉強のできる子供は、運動がニガ手」と言うのとは全く正反対です。
「勉強ができる子供ほど、運動もできる」ということになりました。
確かに、世の中には、勉強はできるけれども運動はニガ手という子供はいるでしょう。
しかし、それは一部であり、大勢ではないということです。
「木を見て森を見ず」の議論に堕してしまいます。
結果を見れば、しばしば口にされる「勉強のできる子供は運動が苦手」というのは、全く思い込みに過ぎないということです。
もしかしたら、そこには羨ましさや嫉妬の感情が潜伏しているのかも知れません。
「そうあって欲しい」という願望です。
圧倒的な多数を占める平凡な人々にとって、相手が両者を兼備していることは、そう愉快なことではないからです。
しかし、現実は認めなければなりません。
もちろん、学力や運動能力の高さがその人の人間性や幸せとストレートに結び付くわけではないことも確かです。
それらの間には、学力と運動能力のような相関はないと考えてよいでしょう。
学力や運動能力に秀でていなくても、誰もが、人間性に優れ、幸せに恵まれることは可能だと言うことです。
神は、幸いにして、学力や運動能力と、人間性(心)や幸せを切り離してくれています。
それもまた真です。